2012年03月25日

父の飴玉

 先日、取引先との打ち合わせの後、スタッフの一人がバッグの中から飴玉を取り出し、皆に配ってくれました。皆で甘い飴玉を口に入れ、緊張の糸がホッ。ほのかな甘さが、張り詰めたココロを緩めてくれます。
 久しぶりの飴を味わいながら、父の事を思い出しました。
 86歳になる実家の父は、子ども達が小さい頃から遊びに行くたび、帰り際に飴玉を持たせてくれました。
 今年のお正月に5ヶ月ぶりに行った時も、帰り際、車に乗り込もうとする娘を呼び止めた父。何か握り締めていた手を、娘の前に差し出すと、次の瞬間、娘の掌にパラパラと落ちてくるのは、色とりどりの綺麗な飴玉です。思わず笑う22歳の娘。父にとって、娘達はいつまでも小さいままの孫なのでしょう。
 でもそれは、私達家族に向けてだけではありませんでした。灯油を配達にきたトラックのお兄さん、貸している駐車場のお金を払いに来た人、集金の人。それは私がまだ学生の頃から、大人も子供も関係なく、何か用事で訪れた人達に、父の飴玉は配られていたのです。
 キャンデーボックスの小さな入れ物に、手を突っ込む皺くちゃの父の手。飴玉は父にとって、特別なものだったのかもしれません。孫の喜ぶ顔が見たい。ほんの少ししか触れ合わない人たちでも、相手の負担にならずに何かしてあげたい。甘く安らぐひと時を、手渡してあげたい。そんな思いなのでしょうか。
 主人の転勤で地元を離れてからは、顔を見せに行くのも年2回ほど。その度、娘の掌に父の飴玉が落ちてくると、何故だかホッと和みます。
 転勤後初めて私一人で実家に寄った時にも、帰りがけ掌に幾つもの飴を持たされました。いつもは子ども達がもらう役なので、直接私の掌に渡された飴玉は何だかこそばゆく不思議な感覚。「子どもじゃないから、飴玉なんか…」と思いながらも、胸の奥で温かいものが溶けていきます。
 お祖父ちゃんの飴玉。それはきっと、娘達が幾つになっても、忘れられない思い出になるはずです。
 さて、「父の飴」ならぬ、「甘露飴」のこのコラム、実は今回で最後になりました。「コラム、書いてみる?」と言われた日から、254編のコラムを書かせて頂きました。年月にして、5年と3ヶ月。小学生なら、そろそろ卒業です。こんなに長い間、私のつたない世界にお付き合い頂き、本当にありがとうございました。時おり「読んでいるよ」と言われると、ものすごく嬉しかった!
 このコラムが父の飴玉のように、ほんの一瞬でも優しい時間をお届けできたことを願っています。   感謝。 
     甘露。
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posted by 甘露 at 05:00 | 甘露色の空は伝言板

2012年03月18日

荷物

 総合病院の待合室は、どうしてこうもドキドキするのでしょう。
 風邪程度で行く近所のお医者さんとは、まったく違うものがあります。さらに待っている時間の長いこと!今回も、午前中10時前に行って、昼も食べれず終わったのは3時近く。待ち時間が長い分、「ひょっとしたら」と余計な事を考え出す時間がたっぷりあるのも、疲れる要因ですね。
 でも、こうして待合室にじっと座っていると、健康のありがたみが身に染みてきます。年老いた親に付き添う、私と同年代の女性。車椅子の連れ添いのそばにじっと座る老夫婦。
 その姿を遠くで見ながら、私ももっと大事にしなきゃ、もっと感謝しなくちゃいけないな、としみじみ思います。とりあえずは、こうして日々暮らしていける事に、もっとしっかり手を合わせて感謝しなくては…。あの人も、この人も、こんなに沢山の人が病と戦っていると思うと、ギュッと背筋に力が入ります。
 そうこうするうちに、イケメンお兄さんに、ヘットホンを渡されました。やっと目的の検査のMR。MRは、ガンガンガンと、スゴイ騒音がするから、ヘットホンを付けさせられるんです。
 病院にきてすでに3時間は経っていましたから、こちらはお疲れモード。でも、レントゲン技師のお兄さんが可愛くて、一気に声が裏返ってしまいました。これって困ったもんです。心拍数が上がっちゃうじゃないか…。
 MR室前で待っている時、「貴金属は持込めません」のポスターを見ながら、何度も手や指のアクセサリーを確認しました。3回目に確認した時、全部外したつもりが、袖の奥にブレスレットが隠れててヤバイ! 以前、肩こり用マグネットの付いた下着を着て(そんなモノがあるんです)、気が付かずにレントゲンを撮り大騒ぎをしたことがあります。出来上がった画像に浮かび上がる怪しげな黒点の数々。げげげ。そんなおバカな事もやっているので、本当に何も身に付けていないか、体中確認しまくりました。
 そんな難関を乗り越え、MRの上で手に持たされた「なんかあった時ブザー」。MRの壺(?)の中に入れられて、もし具合が悪くなったら押して知らせるブザーです。もう一つの約束事が、「動かないで下さいね」。じっと動かないで、と言われながらブザーを持たされると、暗示にかかりやすいアタシは、それだけでもう「ひぇー」と気分は急降下。そういえば友人は、実際にこのブザーを使って助けを求めたそう。「その時、私は生まれて初めて閉所恐怖症だと知った」と、呟いていました。その気持ち、判るなぁ…。
 なんとか無事20分間の宇宙飛行(のような感覚です。MRって)を終え、先生の診断。MRの高性能な機械について私の体の映像を見ながら、優しく丁寧に説明してくれる先生。MRがスゴイのは分かったから、早く結果を教えてぇ…と、まな板の鯉状態。
 結果は、緊急性はなくてホッと安心したけれど、「予防を兼ねて」の名目で、結局もう一つ薬が増えました。こうして、そろりそろりと荷物が増えていきます。年を重ねるごとに、気が付くと右手にも左手にも抱えている荷物。でも、これからも元気でいるために、この荷物を背負って、目的地まで歩きますか。しっかり歩いて体力をつけて、荷物を降ろせるように、ガンバです。
 どうぞ皆さんも、元気で健康でありますように、願いを込めて。
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posted by 甘露 at 05:00 | 甘露色の空は伝言板

2012年03月11日

1本指の拍手 5本指の力

 先日、仕事でお会いしたある高校生のサークルの子たちが、練習の最後に必ず皆で一本締めをするというお話を聞きました。
「よよよい、よよよい、よよよい、よい!」
 一本締めなんて、まるで宴会みたい、などという発想しか浮かばない貧弱な頭の私ですが、実際にその場面を見ると、「これには、深〜い意味と役割があるんだなぁ……」と、納得。まずは、今日も皆で頑張ったねという連帯感。そして、明日も頑張るぞと言う気合。この1本締めは、サークルができた初日から誰とも無く自然発生し、受け継がれてきたとか。この拍手が、皆の気持ちを一つにする大きな役割を果たしているようです。
 そんな姿を見て、思い出しました。
 それこそ、今年正月の宴会です。PTAの古き(?)OBの方々の集まりだったのですが、最後の〆の挨拶をされた方が、変わった拍手を教えてくれました。
 まずは、1本指を拝借。両の手の人差し指を合わせて、静かに「ちょちょちょん、ちょちょちょん、ちょちょちょん、ちょん!」と、1本締めをします。でも、指1本では、総勢50名以上の人間がいても、音はほとんどしません。
 続いて「2本指を拝借」。今度は中指と人差し指の日本で一本締め。やっぱり、静かなまま。「3本指を拝借」も、同じような音。それが、「続いて、4本指で」と、なった時、かすかに音が聞えました。そして最後の「では、5本指を拝借」の瞬間、50人分の5本指と手のひらの力強い音が部屋に鳴り響き、ビックリ。考えてみると当然なのですが、その時は、思わず感動して目がウルウルまでしちゃいました。5本指の力って、すごい!そして、50人の力ってスゴイ! 
 人が集るパワーって、感動だぁ!
 1本では、何の声が出なくても、集れば大きな声になる。そんな当たり前のことを、この拍手で再認識させて頂きました。おもわず、その嬉しさで、今度は力一杯の拍手になり、会場も大盛り上がりでした。
 ちょいとネットで調べてみたら、ちゃーんと手遊びとしてあるんですね。「1本指の拍手」って。
 「1本指の拍手、聞かせてください、どんな音?」
 そういえば、宴会の〆をされた方も、たしか幼稚園の園長さんか何かだったはず……。
 でも、人生を教えてくれる手遊びだなぁ。
 他にも調べると、今度は逆パターンで、大人数の騒がしい子供を静かにさせる方法として紹介しているものがありました。「じゃ、皆で拍手しよう」と、おしゃべりに夢中の子ども達の気を引き、5本指で拍手。そこから1本ずつ減らし、最後の1本指の時には、誰も気づかないうちに会場は、シーンと静まりかえっているとか。
 なるほどね、人生、頭の使いよう、奥が深いわ。 なんか、こういう事って他にも沢山あるような気がします。ちょっとした発想の切り替 え、視点のチェンジ、人生のヒント。当たり前の事を当たり前と思わずに、いつも新鮮な目で見ていたら、世の中もっと愉しいコト、もっと感動するコトがあるかもしれません。
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